キャリアの変遷と意識変容について

20歳の頃の自分は想像もしないだろうが、自分は4度転職することになる。東証一部上場のメーカーから、公務員、はたまた米国資本の外資系輸入関連企業などだ。
恐らく20ヶ国は出張で訪れたし、欧州駐在も経験した。でも、親の急死をきっかけにはじめて転職を意識して、熟考の結果1度目の転職をすることになる。
親の死はあくまできっかけであり、決め手ではない。その後、数度の転職を経て、いまはしっかりとした軸を持ってキャリアを積んでいけていると思う。その中心軸は、自分が住む場所を自分で決める、ということだ。
1社目ではまさに、会社に命じられて縁もゆかりもない土地に6年間勤務し、東京を経て、欧州に駐在した。でも自分にはそういった生活を定年まで継続するスタイル想像できなかった。
親の死を経験してからと言うもの、好きな時期に好きな人や大切な人の近くにいられることが人生に於いて大切ということの重要性を益々感じるようになってきた。
一生転勤族であれば、多くの土地に住み、多くの人に出会い、それなりの報酬を得て定年を迎えるだろう。そこから定住する土地を絞り込んで、生活基盤を築いて第二の人生をスタートする。それでは遅いのだ。
短いライフサイクルの中で貴重な時間を過ごす場所や時期を他者に決めらるなんてまっぴらご免だ。自分の人生は自分で決める。そう考えるようになってからというもの転職時は晴れやかな気持ちで取り組めるようになった。
20歳の頃の自分は想像だにしないだろうが。

20歳の自分へ

今から20年前に20歳だった自分に宛てて、また、同じく今後大学生活や就職を控えるみなさんに対して、僅かなことであっても有益な情報や経験を伝えられたらと思いブログをはじめます。
20年前の2000年は、小渕首相が亡くなり、二千円札の発行があり、高橋尚子選手が五輪で優勝し、プレイステーション2が発売され、サザンオールスターズのツナミが大ヒットした年のようです。
私といえば地方から東京の片田舎にある大学へ進学し、少ない仕送りのなかからどうにかして空腹を満たし、タバコを買い、ろくに勉強もしない生活をおくっていました。
かろうじて一部上場企業に就職し、30歳で海外赴任をするキャリアをスタートすることになるのですが、いまから振り返ればほんとに多くの失敗をしてきました。
そして40歳を迎えたいま、激動の30歳台を乗り越えていまだから言えることを書き残したいと思います。
決して私はエリートではありませんし、転職も全てが上手くいったわけでもありません。公私ともに楽しいこともあれば離婚やうつ病のような経験もありました。
何かしらのエッセンスがお役に立てれば幸いです。